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パイレーツの殿堂入りスラッガー、デイブ・パーカーの訃報に球界から悲しみの声

コントリビューター
David Suggs
コントリビューター
石山修二 Shuji Ishiyama
パイレーツの殿堂入りスラッガー、デイブ・パーカーの訃報に球界から悲しみの声 image

野球殿堂入りを果たしたピッツバーグ・パイレーツのレジェンド、デイブ・パーカー氏が現地28日(土)に亡くなったとパイレーツが発表した。享年74歳だった。

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大柄な外野手はその全盛期、MLB屈指のタレントと評され、19シーズンにわたってメジャーリーグの球場を駆け巡った。最も活躍したピッツバーグ時代の1978年にナ・リーグのMVPも受賞している。

「殿堂入り選手であるデイブ・パーカー氏の訃報に、深い悲しみを覚えています」とパイレーツはX(旧Twitter)に声明を出した。

「『コブラ』は2022年にパイレーツの殿堂入を果たした最初のメンバーの一人で、来月にはクーパーズタウンの野球殿堂入りする予定でした」

(殿堂入り選手であるデイブ・パーカー氏の訃報に、深い悲しみを覚えています。パイレーツのレジェンドであるパーカー氏は、パイレーツのユニフォームを着て11年間活躍し、2回の打率王、MVP賞、1979年のワールドシリーズ優勝を経験しました。『コブラ』の愛称で親しまれたパーカー氏は、パイレーツの殿堂入り第1号選手の一人でした…)

パーカー氏と言えば、そのヘラクレスのようなスイング、詩的な語彙力、そして恐るべきパワーで全米の球場で人気を集めた選手だった。その率直な性格は一部のファンには受け入れられなかったが、ショーマンシップに溢れた選手だった。グリム童話のような言葉遣いは彼の特徴のひとつで、彼でなければ、こんなコメントは出てこないだろう。

“When the leaves turn brown, I’ll be wearing the batting crown.”

(『木々の葉が茶色に色づく頃、俺は首位打者になっている』)

パーカー氏はかつてダビデの星(彼曰く、自分の名前がデビッドで、スターだったため)を身につけ、ダグアウトで何本もタバコを吸い続けては、2つの外野からの好返球(1つは3塁へ、もう1つはホームへ)で1979年にオールスターMVPの栄冠を手にした。

(今日はデイブ・パーカーのハイライトを何度か見てみて欲しい。オールスターゲームでのプレー。まさにロケットのような送球。信じられないほどの才能だ)

1978年のシーズンは、パーカー氏のキャリアのピークだった。打率 (.334)、長打率 (.585)、OPS (.979)、OPS+ (166)、故意四球 (23)、外野手の bWAR (7.0) で MLBのトップに立ち、24票中21票の1位票を獲得してナ・リーグのMVPに選出された。

パーカー氏はキャリアを通じて2度のワールドシリーズ優勝を経験した。それでも記者投票によって殿堂入りを果たすことができず、、2024年に『クラシック・ベースボール・エラ・コミッティ』の投票で故ディック・アレン氏と共に殿堂入りを果たした。

「このスピーチを15年間温めてきた」とパーカー氏はMLBに語っていたが、クーパーズタウンの式典に出席することは叶わなかった。

デイブ・パーカー氏の功績

スポーツ界でもっとも才気に溢れた人物の一人であったパーカー氏の訃報に際し、球界からは即座に多くの反応が寄せられた。

 (2025年の殿堂入りが決まっていたデイブ・パーカー氏の逝去に、深い悲しみを覚えています。「コブラ」の愛称で親しまれたパーカー氏は、同世代で最も強力な打者の一人でした。2度の打率王、1978年のナ・リーグMVPに輝き、1979年にパイレーツ、1989年にアスレチックスで2度のワールドシリーズ優勝を経験しました)

(本日74歳で逝去したデイブ・パーカーにゲイリー・コーエンとロン・ダーリングが、敬意を表した) 

 (殿堂入り選手デイブ・パーカーのご家族とご友人たちに心からお悔やみ申し上げます)

(元MLBの右翼手、デイブ・パーカー氏が74歳で亡くなった。パーカー氏は2度の首位打者、MVP、2度のワールドシリーズ優勝を経験。来月、クーパーズタウンにある全米野球殿堂入りする) 

(くそっ、パイレーツのレジェンド、デイブ・パーカーよ、安らかに眠れ)

(野球の殿堂は、本日74歳で逝去した2025年殿堂入り予定者、デイブ・パーカー氏の死を深く悼んでいます)

デイブ・パーカー氏のニックネーム

パーカー氏の名は十分に記憶に残っているが、それ以上に彼のニックネーム「ザ・コブラ」は野球ファンに愛された。このニックネームは、パーカー氏がパイレーツに加入した当初、チームのトレーナーを務めていたトニー・バーティロム氏によって考案された。

おそらく、彼の目立つ性格、バッティング、そして恐るべき腕力にちなんで付けられたのだろう。いずれにせよ、このニックネームは定着し、野球界最大のスターの一人にとって効果的な「戦闘名」となった。ピッツバーグ、シンシナティ、オークランドとチームが変わっても、パーカー氏のニックネームが変わることはなかった。

デイブ・パーカー氏の通算成績

パーカー氏はそのMLBキャリアを通じて、パイレーツ、レッズ、アスレティックス、ブルワース、エンゼルス、ブルージェイズと6つのチームでプレーした。

出場試合数2,466
通算打率.290
通算本塁打数339
通算打点1,493
通算安打数2,712
OPS.810
WAR40.1
オールスター選出7回
MVP1回
優勝2回

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原文:Dave Parker dies at 74: MLB world mourns loss of former Pirates star, Baseball Hall of Famer
翻訳・編集:石山修二(スポーティングニュース日本版編集部)


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